ちょっと数字を拾ってみた:
- 当時家禄をもらっていた人たちは、華族467人、士族約32万人。当時の日本人口の1%程度。すべての禄の総額は年間1767万円。政府予算の三分の一から半分程度を占めていた。内519万円を華族が取り、残りを士族で分けていた。士族一人あたり年間40円程度。これを全部払わないとするかわりに「手切れ金」として証文(国債)を渡した。
- 金禄公債の総額は1億7386万円(原資はロンドンで起債して調達)。金禄公債の年間利払い額は1161万円。以前は金禄として年間1767万円払っていたから、これだけで年間606万円の得。さらにインフレが以後30年で約3倍に進行したから(白米10キロ、明治10年51銭、明治40年1円56銭)総額では相当節約できた。
- 公債を原資に銀行などを設立することが認められていたから富裕な華族の出資で多くの国立銀行が発足した。一方、一般士族たちもいろいろ企業家精神を発揮しようとするが、ほとんどが失敗し無一文となる(武家の商法)。
- これに一番反対したのは西郷隆盛。征韓論を唱えたのも、要は士族の雇用保証を狙ってのこと。どうやって食っていったらいいのという士族の不満は西南戦争へとつながって行くが、そもそも働いていないのにお給料を貰っていたこと自体がおかしいので、結果は明治政府の勝利となる。
こういう「構造改革」のための借金なら、いくら借金してもいい。現代ニッポンには、働かないで食っている「身分」の人間が多すぎるのである。多すぎる公務員はもちろん、世襲制の排他的職業集団(利権集団)に属する膨大な数の人間もそう。彼らは政治力を持っているのでこの利権を抑えるのはなかなかむつかしい。平成の大久保利通はいつ現れるのか。
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